
レジェンドエキシビションⅢの出場選手は?
1番車は、吉岡稔真。
当時のF1ブームから「F1先行」の異名を持ち、吉岡稔真の車券だけが特に売れる「吉岡オッズ」という現象まで起こるほど当時の競輪で一強を誇った選手。
神山雄一郎と吉岡稔真の二人を両横綱と称して、実際にタイトルをこの二人で取り合っていたこともある。
2番車は、山口幸二。
中部地区の顔役と呼ばれる実力者。
1998年のオールスター競輪を完全優勝を飾ったことも。
2009年はS級2班ながら、獲得賞金額上位として1班を飛び級しS級S班へ復帰する活躍。
3番車は、内林久徳。
近畿地区のトップレーサー。
村上義弘や澤田義和といった実力はガ出てくるまでは内林久徳が希望だった。
過去、勝ちを意識しすぎてラフプレーが目立ち、競輪グランプリを3度出場できなかったこともあるが、グランプリ常連の実力者だった。
4番車は、後閑信一。
ボスの愛称でおなじみの後閑信一。
吉岡稔真とは同期。43歳でオールスター競輪を優勝(40歳以上で自力による決まり手は競輪史上初)
前回のKEIRINレジェンドエキシビションⅡに2年ぶりに参戦し優勝した。
5番車は、市田佳寿浩。
17年に大きな怪我がなければまだ引退せずにいたかもしれない。
福井の不死鳥になぞって不死鳥と呼ばれている。
6番車は、山田裕仁。
過去、特別競輪のタイトルを獲得できず。無冠の帝王と呼ばれていた。
粘り強さは神山雄一郎や吉岡稔真に勝るとも劣らないと評価されている。
7番車は、小橋正義。
新鬼脚、平成の鬼脚と呼ばれる。
不利な展開からの切替えも優れており、日本刀になぞらえ名刀正義と呼ばれた(日本刀の名刀正宗から)
誘導員は中野浩一。
35期の三羽烏(井狩吉雄、松田隆文)。九州のハヤブサと称された。
日本競輪は勿論、自転車競技の世界でも活躍した。
レジェンド中のレジェンド。
レジェンドエキシビションⅢのレースは?
レース並びは吉岡稔真、小橋正義、山田裕仁、山口幸二、後閑信一、市田佳寿浩、内林久徳。
誘導員の中野浩一が切れてスピードが上がる。
前を取りたい吉岡稔真。それを気にする山田裕仁
先行する吉岡稔真に追走する山田裕仁と小橋正義による2番手争い。
最終直線で逃げ切る吉岡稔真と何とか差そうとする小橋正義。
1位ゴールしたのは吉岡稔真、2位は小橋正義、3着は市田佳寿浩。
KEIRINレジェンドエキシビションⅢを優勝は吉岡稔真!
レース後に胴上げされる吉岡稔真。
レース出走したメンバーの平均年齢は51歳。
優勝した吉岡稔真のインタビュー
『今回でレジェンドレースも最後かもしれなかったので、悔いのないよう先行しようと思った。
少しでも元気を与えられたらと思っています。』
それでも走り切っているのが凄いところ!