氏名(カタカナ) | 明珍裕子(ミョウチン ユウコ) |
ニックネーム | 裕子 |
生年月日 | 1989年06月06日 |
出身地 | 福島県 |
ホームバンク | 泉崎国際サイクルスタジアム |
血液型 | A型 |
身長 | 155.5㎝ |
体重 | 53.0㎏ |
太もも | 53.0㎝ |
モットー | 一生懸命 |
好きな食べ物 | 果物、甘いもの |
嫌いな食べ物 | なし |
好きな男性のタイプ | 明るい人、笑顔の良い人 |
師匠 | 菊池芳彦(キクチ ヨシヒコ) |
練習仲間 | 泉崎国際サイクルスタジアムのメンバー |
目次
「明珍裕子」選手のデビューレース&初勝利レース
1,明珍裕子のデビューレース
2013年5月10日京王閣競輪F2初日6RのA級戦でデビュー。
同期メンバーは青木志都加、井上玲美、梶田舞、杉沢毛伊子と半数以上がデビュー戦のため予想が困難を極めた。
在校成績5位で卒業した梶田舞や卒業記念レース5位の杉沢毛伊子が有力好候補とみられるのは必然。渡辺ゆかりと三輪梓乃はデビューしているので経験値で勝ち上がる可能性も捨てきれない、そんなレースだった。
レース結果は明珍裕子は6着に沈み、梶田舞が逃げ切って1着。150倍の配当金となった。
2,明珍裕子の初勝利レース
デビューから約5ヶ月経った10月7日奈良競輪F2最終日5RのA級戦で初勝利を挙げた。
初日は5着。2日目は7着と良い結果は出せていなかった。
迎えた最終日、どの選手もなかなか成績が良くないため本命選手を見極めるのさえ難しいレースだった。
だが明珍裕子と関口美穂にオッズは偏っていたため八勝利も期待されているのが分かった。
結果は逃げる関口美穂を捲り1着。ファンの期待に応え見事1着初勝利を手にした。
「明珍裕子」選手のデビュー前の話
1,「明珍裕子」の競輪学校時代のマル秘エピソード
競争訓練では1着6回、2着16回、3着20回で9位と勝ちきれないレースが多かった。卒業記念レースでも3着、3着、4着、5着と競争訓練と同じような結果に。
自転車競技経験者であったが、特に大きく活躍していたわけではない。
そのためか謙虚に素質はないと語っていた。
だからこそ練習では手を抜かず、朝5時前から朝練を自主的に行っていた。
いつかその努力の差がいつかプラスになると信じている。
皆勤賞も受賞しており、その努力は誰もが認めているようだ。
2,「明珍裕子」の幼少期の可愛い話
小学・中学とバスケットボールをしていた。高校でもそのままバスケットボールを続けるはずだった。
だが転機が訪れる。兄の国体出場を見に行き、母親と話していた人物(自転車関係者)から「自転車競技やってみないか?」と声を掛けられる。
二つ返事で明珍裕子は「はい!」と答えたが、その先は鹿児島県での活動となる。高校生から一人他県でチャレンジすることに臆さず鹿児島県へ移住し自転車競技に挑戦する。
父は競輪選手の明珍周男、国体出場した兄も現在アマチュアの自転車競技選手である。
そのため幼少期から自転車競技には興味を持っており、鹿児島県での活動も一つの挑戦と捉えていた。
大学に進学後も自転車競技を続けていたが物足りなかったと語る明珍裕子。就職活動もしていたが、同時に競輪学校の試験も受けていた。
無事合格しガールズ競輪選手となる。
3,「明珍裕子」のプライベートを赤裸々告白
ムーミンが好きでムーミン柄のグッズや日用品をたくさん持っている。スーツケースもムーミン柄。
オフの日は基本的には家でDVD鑑賞、特にジブリを見漁っているようだ。
たまに映画館で映画を見たり買い物しに行くといった外と中でバランスを保っている。
女子競輪の2期生ということもあり、同期選手達とは絆があるようで、同期の山原さくらと一緒に食事をしたり、映画鑑賞したりとレース外での親交も深い。
引退してしまったが菅田賀子ともサイクリングや旅行に行くなど同期内での友好関係がある。
好きな車番は2番のため彼女が2番車で走る時は期待できるだろう。