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怪我からの復帰ならず
昨年9月に開催された松阪競輪G2共同通信社杯で落車事故を起こして以来、長期欠場していた林雄一だが、引退を表明した。
林雄一は共同通信社杯の1次レース中に意識を失い落車、心肺停止に陥った。
7分間も心肺停止状態と危険な状態だった。中村浩士や関係者の懸命な措置で奇跡的に一命をとりとめた。
その後は長期欠場していた。
高次脳機能障害の専門病院に入院し70日間もリハビリを努めた。
退院後も復帰を目指してトレーニングや調整を行っていたようだが、
『あらゆる検査をしたのに原因が不明。対処法が見つからなかった。心配した家族のOKが出なかった』
と復帰を断念した。
『たくさんの先輩後輩、他県の選手たちがお見舞いに来てくれた。競輪が好きだし辞めてもこの人たちとつながっていたい』と思い、第2のレースを模索している。
4月ごろから、神奈川県内の競輪場で解説者としてデビューする予定だ。
林雄一の紹介
氏名(カタカナ) | 林 雄一(ハヤシ ユウイチ) |
生年月日 | 1978年8月26日 |
ホームバンク | 岐阜競輪場 |
血液型 | AB型 |
身長 | 165.0㎝ |
体重 | 58.0㎏ |
太もも | 55.0㎝ |
好きな食べ物 | 生もの |
嫌いな食べ物 | なし |
師匠 | 塚本 貴雄(ツカモト タカオ) |
練習仲間 | 塚本孝雄、板橋常晶 |
林雄一は1999年8月18日の花月園競輪場でデビューした。当時はB級でのデビューとなる。
初日は5着、2日目6着、3日目2着と、華々しいデビューとはならなかった。
初優勝は、1999年8月26日の立川競輪場の2日目に初勝利した。初優勝したのは同年11月の静岡競輪場で初日1着、2日3着、3日1着と好成績での優勝を果たした。
2000年にA級入りし同年6月10日の広島競輪場で、初日に1着を飾った。2日6着、3日6着と落ち込む結果ではあった。
その後2003年1月の花月園競輪場にてA級での初優勝を飾った。
翌年20004年にS級2班に昇格。1月27日の花月園競輪で初日1着を取りS級初勝利。S級での優勝は2010年にS級1班に昇格した年の7月14日に松阪競輪場にて完全優勝を飾っている。
2010年以降は、S級1班を維持していた。
戦績は、1628戦218勝。通算獲得賞金は3億5913万3755円。
林雄一にエールを送る郡司浩平
共同通信社杯で、途中欠場の形となってしまった林雄一だったが、S級1班(レース当時)の郡司浩平がエールを送った。
大会中の出来事に加え同じ神奈川所属ということもあり、同県所属でお世話になっていた分を結果で示したいと郡司浩平の大会への意識は強まった。
初日は3着、2日目が1着、4日目は3着で、5日目決勝で1着を取り優勝を果たした。
平原康多や佐藤慎太郎、山崎賢人と優勝候補を見事に抑えることができた。
オッズも412.2倍と予想外の結果ではあったが、倒れた林雄一へ優勝を手にエールを送ることができた。
しかも、優勝した2時間後に林雄一の病状はだいぶ回復したようで、会話もできる状態まで回復したようだった。